脳裏の広義。
いつものことですが、全く結論の無いお話です。
推しメンが、今現在の自分自身が残す物の力について考えさせてくれたので、良くも悪くもいつかの僕のために、とりあえず頭の中を頑張って出してみることにします。
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常識と固定概念 の線引きはどこだろう。
善と悪 は常識なのか固定概念なのか。
生きる ことは常識なのか。
最近そんな感じのことをずっと考えてる(病んでる人())
なんだか不思議に思っちゃって。
必死に生きて、必死に生かそうとして、万策 尽きたら経験則で終わりが見えて。
その終わりの頃にはきっとまともに話すこともできないし。
どうして人は無意識的に生きようとしてるんだろうな〜って。
生きてる日数に対して死が訪れる日はその日しかないからなんだろうけど、
生きてるのが当たり前になってるから、最悪の先なんか考えずに誰かと会って別れて。
自分の考えが足りてないのが悪いとも思えるのに、突然のその出来事に馬鹿みたいに悲しくなる。
すごく極論的だけど。
生きる ってのは常識なのかな。
そして、これを考えたところで何が生まれるのかも分からないけど。笑
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善と悪 も
特に、多くの物語に付いてくる印象の1つだと思うけど、ほとんどの人が同じような見方をする。
きっと主人公的な方は正しい側として描かれると思うし、そう見えると思うし、これを投げかけてる僕自身ももちろんそっちが正しいと思う。
でも悪側にも悪側なりの見方や正義や倫理観があるわけで。
そこをちゃんと汲み取ってる作品とか、すごいと思うんだよなぁ。
例えば、『勇者のくせになまいきだ』っていうゲーム。
プレイヤーの自分は世界を自分のものにしようとする、魔王すら従える破壊神。(この世界観での善)
相対するは、魔王を排除し、世界に平和をもたらそうとする憎たらしい勇者。(この世界観での悪)
勝手に善悪の印象がついちゃってるから、面白い設定ですね。で一見 終わっちゃうんだけど、
この発想ってすごくないですか?(誰に聞いてんだ())
他の勇者物のゲームでも、敵側からしたら、仮に勇者を倒しても倒しても、
ゲームオーバー
の後、
コンティニュー
ってだけでまた生き返って、なんなら強くなって帰ってくんの。装備がピカピカになって帰ってくんの。
忌々しいにも程があると思えちゃう。
って思うとほんの少しだけでも悪側の辛さを感じちゃう。
魔王達にとって、勇者は悪でしかない。
もう1つの例に、アベンジャーズシリーズ。
『アイアンマン(2008)』から『アベンジャーズ/エンドゲーム(2019)』までの22作品を見てる方には伝わることを願います。
見てない方にはできれば見て欲しいからできるだけ詳細には触れないでおきます。
〇宇宙と人の命を守るために頑張るアベンジャーズ。(善)
◉自分の経験からも、宇宙の資源が枯渇する前に全生命を半分にしたいサノス。(悪)
〇アベンジャーズ側、主に視聴者側、世間的に正しい倫理観を持つ側からすると、サノスの計画はあまりに非道で理不尽。(善)
◉サノス側からすると、アベンジャーズは平和ボケしていて、自滅しようとしている理解し難い奴ら。(悪)
〇とにかく世のため人のために戦うアベンジャーズが、その戦闘で生まれる瓦礫やら何やらで人を救う裏で人を傷つけている事実が生まれてきて、果たして自分達の正義は正しいものなのか。っていう考えも出てくる。(善?)
◉サノスにはそれなりの過去があって、何を失ってでも自分の計画を果たして、愛する世界を保とうとする、美しいとまで思える程の強い覚悟がある。(悪?)
段々、善悪を分ける線が、細く弱く感じられてくる。
そしてアイアンマン1作目からエンドゲームまでトータルで、
・アベンジャーズが得たものと失ったもの
・サノスに待っていた結末
この2つのバランスがリアルでえげつない。
善悪の曖昧さを表してるみたいに。
世間の善悪の捉え方が、
常識的で持つべきものであるのか、
それとも、
固定的な概念でしかなくて人々が縛られているものなのか。
どうなんだろうか。
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もちろん倫理的に何が正しいのかは分かってるつもりです。
きっと僕の持つ考えも世間的な考えとほぼ同じだと思います。
でも、こういう道も見えなくないよね。
っていうお話。
果たして誰かにこれが伝わるのだろうか。
自分でもぐちゃぐちゃになってるものをとりあえずセロハンテープでくっ付けたみたいな文章。
何か正解や意見が欲しい訳でもないです。
色んなものが重なって今までにない色んな考えが次々出てくるから、その一部のちょっとした記録に。
こいつ頭おかしいんかな。って思いましたか?
僕も思います()
藤美くんセンチメンタルなんです最近(メンヘラvo.())
次こそきっとオリエントのお話に。